令和元年7月1日より当院での診療の中心を担っております、片桐 聡と申します。以後、宜しくお願い申し上げます。
平成17年に昭和大学を卒業後、初期臨床研修、整形外科後期臨床研修も同大学、及びその関連病院で研修を修了、整形外科専門医を取得したのち、東京都の病院で整形外科部長職を4年勤めてきました。後期研修中には福島県郡山市で東日本大震災を被災、その時の経験から専門医取得後の道筋として、かつてから震災の影に脅かされている、生まれ育った街である富士宮市で地域医療に従事しようと決め、数年間かけて準備を進め、現在に至ります。
当初は世間の流れに従い、無床クリニックとして小さくやっていこうと考えておりましたが、縁あって準備期間中に富士市にある富士整形外科で常勤医として勤めさせていただいたり、富士宮市救急医療センターで勤務したりするうちに、富士宮市の整形外科医療の苦境を目の当たりにし、入院、及び手術再開の必要性を強く感じ、厳しさと忙しさを承知の上で覚悟を決め、多くの方々のご協力を得ながら全体の大規模修繕工事を計画、実施して令和元年10月1日より当院は病床機能が復帰するに至りました。記念すべき新元号の元年に私も新たなスタートを切れたことを幸せに感じます。
本来であれば市内で補完されて然るべき、大腿骨頚部骨折や腰椎圧迫骨折などの急な外傷、高度な医療を必要としない程度の悩みを解消するだけでも市外、それも隣接市でなく更に遠くの病院を頼らなければいけない富士宮市の現状を脱却させたい、そのような気持ちが私の原動力となっています。有床診療所ゆえ、わずか19床ではありますが、少しでも住民の皆様のお力になれれば幸いです。
また、私一人の力ではできることもたかが知れており、また遠くないうちに限界がくることも容易に想像できる話で、その点についても整形外科専門医の招聘を模索し、スタッフも私自身も疲弊していない状況で、来院された方々に安心して医療を受けていただけるような環境作りに今後も力を入れていく所存です。
もう一つ、当院の位置する西富士宮駅周辺も昨今はバスの減少などで利便性が悪くなりつつあり、商店も減少、人の流れが滞っている点についても憂慮しております。当院を中心に新たな人の流れを作り、公共交通機関の増発、近辺の活性化の助けにもなればと考えています。
医療施設・介護施設との連携は勿論の事、周辺地域の商店や企業とも連携を取り、世界遺産認定を受けた富士山で盛り上がりつつある富士宮市の更なる発展に、微力ながらも寄与できるよう鋭意努力をしていきますので、近隣の皆様方におかれましてはご鞭撻のほど、宜しくお願い申し上げます。